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プーマを代表する不朽の名作「スエード(SUEDE)」がファッションユーススニーカーとして台頭していった歴史とは?
プーマのコレクションの中でも最も人気の高いスニーカーである「スエード」は、1960年代後半に誕生したスエード素材を使ったプーマのトレーニングシューズがルーツ。1968年のメキシコ五輪では、金メダリストのトミー・スミスが表彰台でこの靴を掲げ、黒の革手袋をした右手の拳を上げる人種差別撤廃のパフォーマンスで大きなインパクトを残した。1973年には、当時ニューヨークで活躍をしていたプロバスケットボール選手、ウォルト・フレイジャーがシグネチャーモデルとして「プーマ クライド(PUMA CLYDE)をリリース。このモデルがのちにスエードへと繋がっていくこととなった。
1970年代後半からニューヨークのストリートシーンで熱狂的な支持を獲得
アスリートから支持されていたプーマのシューズがストリートで着用されるようになったのは、初期のヒップホップムーブメントにおいてBボーイたちから支持されたのがきっかけ。1970年代後半から1980年代前半にかけ、ニューヨーク・シティ・ブレイカーズやロック・ステディ・クルーといった著名なブレイクダンサーや、グラフィティライターたちがこぞって愛用。発売当初名前がなかったこのシューズは、いつしか「スエード」と呼ばれるようになった。ニューヨークでのストリートシーンで広まったことが出たことをきっかけに、ロンドンでも人気に火がつく。英国ではこの靴を太平洋の向こうから輸入していたことから、スエードではなくステート(STATES)と呼ばれていた。
1990年代にはビースティ・ボーイズが着用、一気にメインストリームに躍り出たプーマのスエード
1990年代にはヒップホップグループのビースティ・ボーイズ(BEASTIE BOYS)が着用したことで大きな話題に。ニューヨークを中心にローカルのバンドシーンでも「プーマ」を履く人々が続出した。プロスケーターのスコット・ボーン(SCOTT BOUREN)が使用したこともあり、ブレイクダンサーやスケートボーダーからの人気も再燃。現在ではストリート、ファッション、ポップカルチャーを代表する人物やブランドとコラボレーションしながら、さまざまなスタイルに合わせやすい不朽の名作として愛用され続けている。
プーマ “スエード”と“クライド”の違いとは?
スエードに非常に似ているモデルとして、勝るとも劣らない人気を誇る「クライド」。似ているのも当然の話で、元々はプーマのスエードスニーカーをバスケット選手としてNBAの殿堂入りを果たしたウォルト・フレイジャーのシグネチャーモデルとして「クライド」を発表、その後ストリート向けに派生したモデルが「スエード」という背景がある。ちなみにクライドというモデル名はウォルト・フレイジャーのニックネーム。クライドもスエードも、ルーツはバスケットシューズなのだ。
違いとしては、スニーカーのサイド部分に記されたモデル名の表記やフォームストライプの仕様などが挙げられる。また、スエードのヒールにはプーマのキャットマークがあるが、クライドには無い。製法に関しても元々は圧着式ソールだったが、スポーツ用のクライドにはサイドマッケイ製法を先行して採用。現在は逆で、スエードがサイドマッケイ、クライドが圧着式となっている。
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